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2006年1月27日

恐るべし、松永イズム!
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(写真:今井良晴マルプロ社長)


夕方、JR上野駅構内のカフェで、今井良晴マルプロ社長とお茶を飲む ( ^-^)_旦~

3日前に新宿で偶然遭遇した時は、お互いの連れがいたので思うように会話が出来なかったので、今日は二人っきりで隠密(?)会談(~ヘ~;)

今井氏がかつてリングアナとして所属した全日本女子プロレスも“崩壊”から早や一年近く(=_=)
苦い経験も多かっただろうが、今となって思い出すのは楽しかったことばかり(^^)

私も“女子プロ・オールスター人気”に湧く'93年頃から(当時)北陸地区を担当していたプロモーターとのお付き合いで(全女の)仕事をさせていただくようになり、年に一度の割合でやってくる北陸巡業の際は朝晩毎日、今井氏をはじめ選手、スタッフと文字通り“同じ釜の飯を食った”仲o(^o^)o
なにせ当時の全女の試合数ときたら年間220〜250興行!
北陸巡業でも“6連戦”くらい当たり前(´ー`)

今井氏曰く
「だから昔の巡業を経験している選手は今でも逞しいんですよね〜」
と【ハッスル】などで活躍するジャガー横田選手やデビル雅美選手らベテラン勢の活躍ぶりの理由を分析( -_-)

現在は、ロシア人格闘家を擁するジムを任されている今井氏だが、女子プロレスへの情熱の炎は消えておらず、独自の『女子プロ論』を熱弁<("O")>
人気を誇った長与千草選手がエースだった【ガイア・ジャパン】解散(昨年4月)の真相も初めて聞きましたw(゜o゜)w


しかしなんと言ってもビックリしたのは全女の創業者である松永高司会長を長男とする“松永四兄弟”の数々の伝説!
ガッツ石松さんや具志堅用高さんの逸話を題材にした『伝説本』があるが、この松永一族の伝説も活字として後世に是非残していただきたいほどだ(^o^;)

とても私のような若輩者が語れるような軽々しい話ではないので、(今井氏との)会話の内容は割愛させていただきますが、“老いてなお・・・”を実感したのは、我々が敬愛する矢沢永吉さんに触れて語った松永高司会長(以下:会長)の談。

2002年11月フジテレビ系で放送された松岡昌宏主演のドラマ『成り上がり』(矢沢永吉ヒストリー)を会長が観た翌日の今井氏との会話。
会長「お前(今井氏)が(矢沢を)好きなの知ってたから昨日のドラマ観たんだけど、アイツ(矢沢)俺に似てるな!」
一瞬絶句してしまった今井氏だが、当時の永ちゃんはオーストラリア詐欺事件で背負った多額の負債を返済している真っ最中。
「たしかに借金がいっぱいあるのは似てるかもしれないけど・・・」
と心の中で思いつつ
今井「会長、どのへんを観て、そう思われたんですか?」
と訊ねると
会長「だって、カバンひとつ持って田舎から東京出て来てイッパツ当てたんだろ?俺とそっくりじゃねえか!」

『矢沢永吉が自分に似てる』と自分を軸に考えるところがまた“松永イズム”だ(>_<")

でも、会長が【ビューティー・ペア ブーム】で日本中を席捲した1977年当時に遡れば、間違えなく永ちゃんより早い“ゴールドラッシュ”だったんだろう(・。・)

今井氏が目撃した
「(昨年大晦日の)【Dynamite!!】での矢沢話をしましょう」
という理由で会ったのだが、気が付けば“女子プロ今昔物語”と“松永伝説”に終始してしまったのでした・・・(>_<)





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