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2009年10月3日
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「ここ(大阪)で飲んだのが最後になっちゃったからな〜」
10時、携帯のタイマー音がけたたましく鳴る。 今日は、矢沢永吉(11/1718)札幌公演チケット発売日。 心を鬼にして、自らの頬を闘魂ビンタで張りながら起床。
2台の携帯を駆使しながら、電話を掛けるも、当然ながらつながらない(+_+) 執念が通じ?10時40分につながる。 まずは、2日目のチケットを確保。
つづいて、電話を掛けつづける。 約10分後、無事につながり、初日公演分もゲット。 2年振りとなる北海道行きが決定(^-^)v
一安心して入浴。 正午、ホテルをチェックアウトしサンボーホールへ。
飲食売店を出店する業者さんと“現地”打ち合わせ。
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↑(今月もプロレスが2興行)
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打ち合わせ終了後、ポートアイランドPホテル内レストランで昼食。 生涯で、最も多く宿泊したホテルだけに、ベテランスタッフは、皆顔見知り( ^▽^)σ)~O~) 神戸市内で、一番ホッとする場所だ。
食後、アウトレットショップを“見学”(・_・) 時間がある時、改めてゆっくり来よう。
前夜、ヘイトと食事をしたというミノルさんに取材電話Σ( ̄□ ̄) 私「どないでした?」 ミ「『(タイトルマッチを)メチャクチャにしてやる』言うてましたわ(笑)」 私「酒、飲んでました?」 ミ「いえ、一滴も酒飲まなかったし、野菜ばっかり食うてましたわ」 やる気だ(・_・;
大阪へ向かう。 西成区のタコ焼き屋で時間調整。
ノア大阪大会終了後に、神戸大会のフライヤーを配布予定。 スタッフ2名に任せてはあるものの、自身も会場へ行くことに。
8時、会場の大阪府立体育会館へ。 裏口に車を停めて、会場に向かい手を合わせ黙祷。 今日は、通常の興行ではなく、【三沢光晴追悼興行】。 私もこの街、この会場に、三沢社長との想い出がいっぱい詰まっている。
偶然にも、ベテランスタッフのCさんが外に出てくる。 三沢社長の“(巡業先の)夜のパートナー”と異名を取っていた方。 私「Cさ〜ん!」 C「お〜、久し振りじゃん!(試合)観に来たの?」 私「いえいえ、私は中には入れませんよ(苦笑)」 C「あ、そっか(笑)」 私「でも、今でも(三沢社長が亡くなったことが)信じられないですよね〜」 C「ここ(大阪)で飲んだのが最後になっちゃったからな〜」 ※(広島入り前夜に宿泊したのが大阪)
全試合が終了したらしく、お客さんの波が会場内から押し出されてくる。 諸般の事情もあり、配布作業はスタッフ任せ。 半分程度が退場したと思われるタイミングで、場内に入る。
取締役営業部長や幹部社員にご挨拶すると、一様に驚嘆の声と視線w=(゜o゜)=w 「お〜、何年振りだよ〜!」 「全日本のプロモーターだぞ〜(笑)」 「ミスター・ショータイムの川村だ!(笑)」
確かに正面から入場するのは、7年振りか(~_~;) 私「三沢さんにご供養したく参りました!中(アリーナ内)に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」 「もちろん、どうぞ!」
ご好意に甘え、アリーナ内に入るも、すっかり撤去作業が進み、巨大な遺影は既に無し (/_・、)
どうにか、試合用ガウンが展示されたままだったので、間近に立ち、手を合わせる。
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↑(三沢社長の汗が沁み込んだガウン)
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改めて、ノア社員の皆様に御礼を述べ退場する。
弊社スタッフと並び、フライヤー配布作業(ノ`△´)ノ 正面玄関から退場する橋誠、森嶋猛、石森太一各選手から声を掛けられる。 「お疲れ様です!」 私「元気?(笑)いつも、ご活躍を拝見してますよ!」
週刊プロレス編集長以下、主要スタッフグループとも遭遇。 私「いつも、週プロの記事のお陰で、いい興行を開催できております!」 編集長「お噂は、かねがね伺っております」 私「それは、“いい噂”ですかね?(笑)」
今年度、弊社で製作したカレンダー(カードサイズ:非売品)も、写真提供は週プロ。 ホント、お世話になっております!
予想を上回る枚数のフライヤーを配布でき、ふと会場の看板を見上げる。
三沢社長の数々の名勝負が思い起こされるが、私が生で目撃した同会場でのベストバウトは、何と言っても1997年1月の小橋戦だ。 本当に凄い試合だった!
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↑(名勝負の想い出が詰まった体育館)
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帰路に就く、満足気な観客の顔は、興行師にとってのカンフル剤。 気合いが入り、石川県に向かいアクセルを踏む。 車内のBGMは、吉川晃司と小泉今日子♪ 両者とも、イニシャルは[K.K]。 私もσ(^_^;)
石川県に入るまでノンストップ。 尼御前S.Aで食事。 ミニネギトロ丼&五郎島金時アイス。
1時半、どうにか無事に帰宅。 『ワールドプロレスリング』を観ているうちに就寝。 (推定2:15頃)
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