Diary(日記)

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2009年6月15日

また !?
記事の編集
8時起床。

日テレのワイドショーは、当然のように『三沢さん死亡』報道。

プロレス通で知られる放送作家のテリー伊藤さんのコメントに、故人の人柄が集約されている。
テリー「面倒見のいい人だったんです」
まさしく!
社員でもない私や、他団体から参戦していた若い選手に、凄く気を遣ってくださっていた。

“鎖国”が解かれた時代(1997年頃〜)、巡業先で試合後に食事をご一緒させていただく際、池田大輔、ハヤブサ、新崎人生らを誘い、自らコミュニケーションを取っていた姿が思い出される。

「何かあったら、俺に言えよ」
何度、この言葉に心が救われたことだろうか・・・


三沢さんが命を懸けたプロレスを守る為にも、頑張って仕事しよう!


午前中、打ち合わせ電話数件。
イス、暗幕などのハードをレンタルする業者さんと金額についての会談。
チケットを買い取っていただくことで合意する。


12時半過ぎ、富山のコマキさんから電話が掛かる。
「テッド(・タナベ レフェリー)さんが、亡くなりました」
私「なんで!?」

昨日、大阪プロレス定期戦でのレフェリングを終えた後、昏倒し、搬送された病院で、一夜明けた今日、息を引き取ったとのこと。
聞けば、心臓に病気を抱えながら、レフェリー業をつづけていたらしい。

テッドさんには、私が主催したバトラーツ金沢大会(1998.11.17)でも、レフェリングをしていただいている。
二日続けての、プロレス界の先輩の死は、辛すぎる。



アレクサンダー大塚選手に電話し、故人を偲び合う。
ア「こないだ、××○○(インディープロレス団体)観に行ってきたんですけど、(選手同士の技の攻防が)危なくて見てられなかったですね〜。途中で怖くなりましたもん」
私「規制すべきだよな〜」


営業活動中も、必ず『三沢さん、死亡』の話題が出る。
存在は、絶大なり。


7時前、閉店間際のドコモショップに立ち寄る。
♀副店長とは、旧知の仲。
買い替えることを前提に商談スタート。
気が付けば、1時間経過。
私「残業させて、すまない」

買い替える機種も決定し、入荷する明日以降に再来店することに。
800万画像のカメラ内蔵機種。
[プロモーター日記]の掲載写真も一段とキレイになるハズです。


ナカグロ社へ。
コマツ社長と大会ノベルティのデザインについての打ち合わせ。
多忙の社長に無理なお願いをするも、快く引き受けてくださる。
コマツ「いいですよ!やりますよ」
“プロレスLOVE”内蔵社長なのである。


夕食は、久々のコン先輩と^ー^)人(^ー^
[ぢどり屋]〜[たこ焼き屋]とハシゴし、勝手にマッチメイク会議。
反映されることは、まず無い(^-^;


2時半散会〜帰宅〜3時半就寝。




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