Diary(日記)

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2006年3月17日

田中稔の代わりに・・・
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(写真:左が“驚異の素人”ハガ ゲンタ君)


午後のJRにて東京へ。
到着後、すっかり“ホームタウン化”している北千住へ直行
ε=┌( ・_・)┘

商店街の居酒屋で、東京での“身元引受人”ともいえる(冗談です)F美さんが出迎えてくれる (^ー^)ノ
移動中の電車内で連絡を付けたアレクサンダー大塚選手もF美さんのキップがいい
「呼びなよ!」
の掛け声により合流することに (~-~;)

アレクも(呼ばれることを)見越していたかのように、北千住へ向かっていたようで、程なくして“同行者”付きで到着^ー^)人(^ー^

私が連絡する直前までアレクとスパーリングを含む練習に打ち込んでいた(X_X)“同行者”がこの日のキーマンになるのだが、素性を説明すると・・・
アレクより年下にも関わらず『ハガさん』と(アレクから)呼ばれる函館生まれの30代前半独身男。

高校卒業後、『武者修行』(ゲンタ談)と称し、単身渡米しシュートレスリングを体得する為にフロリダ州タンパのマレンコ道場へ入門。
プロレスラーとしてはデビューする意思は無かったようなのだが帰国後、パンクラス勢が離脱直後の藤原組に“いつの間にか”居座り、その人柄から藤原喜明組長の“お気に入り”となる(^^)
道場に居候しながら、藤原組長&石川雄規(現バトラーツ)指導の下、デビュー目指す池田大輔(現フーテンプロ)、田中稔(現新日本)、モハメドヨネ(現ノア)、アレクらと“なぜか”猛トレーニングに励む(・_・?)

デビューする意思は無いまま、北尾光司率いる武輝道場(当時)との対抗戦に借り出された挙句、見事勝利まで収め観戦に訪れていた添野義二・士道館々長から
「マヌケな顔してるわりに強ぇな」と誉められた(?)実績も持つ(>_<")

極め付けは、藤原組から独立後のバトラーツ旗揚げ直前、池田大輔と共に遠征に旅立つハズの田中稔が直前に負傷し“代役”としてハガ ゲンタが、南アフリカのツアーに参加することに<("O")>
本人を含め、なぜ稔の代わりがゲンタなのか未だにナゾなのだが、3週間に及ぶツアーをしっかりこなしてきたのだった(-_-;)

藤原組居候時代からの友人であった私も“お土産”として(南アフリカ)大会のポスターをいただいた ( ^-^)_
コレもナゾなのだが、参戦してない(予定も無かったらしい)太刀光まで載っていた(-_-;)
(現地の)プロモーター曰く「日本人は皆、同じ顔」に見えるらしい(-_-#)

試合中、現地の選手に攻撃を仕掛けようとトップロープに上ったら観客に足を捕まれ試合を邪魔されたり、プロモーターにファイトマネーの支払いについて尋ねたらピストルを見せつけられ会話を阻まれたりと“アクシデント”満載だった遠征中の秘話を、初対面のF美さん&北千住の仲間たちに披露し、初対面で一躍この街でも人気者となる('-'*)

バトラーツ時代の余談だが、【さすらいの放浪人】とプリントされたゲンタのTシャツがグッズ売店で売られていたような記憶もある
(;¬_¬)
ボビー・オロゴンの先を行く『最強の素人』といったところか(;-_-)


私も彼と対面するのは、3年半振り(-。-)
話が弾む中、居酒屋をハシゴし3次会のスナックで、大カラオケ大会(~▽~@)♪♪♪
ゲンタも昭和歌謡を歌いまくる♪(写真)

出っ歯で函館訛りがトレードマークの謎の男、皆さんもお気に召されたご様子でした(^v^)
よかったな、ゲンタ! ( ^ー゜)b









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