Diary(日記)

[HOMEへ戻る] [TOPへ戻る] [日記を書く] [一覧表示]

テキストのみ書き込み    画像アップロード有り
2007 年 9 月
- - - - - - 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
- - - - - -

2007 年 08 月
- - - 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
-

2007年9月29日

3年振りに上陸
記事の編集
(ハワイ時間:9月28日)

しばしの仮眠に就くと、あっという間にホノルル到着。
睡眠不足も時差も、ハワイの青空を眺めると吹っ飛んでしまうヽ(´▽`)/
入国審査を無事に終え、バスに乗り込みワイキキへ。
車中、ヨネちゃんと互いの“ハワイ初体験談”を語り合う( ^▽^)σ)~O~)

ハワイ初上陸は、私が18歳で、ヨネちゃんが20歳頃とのこと。
それぞれ、会社勤めをしている時代だ。
ヨネ「(日本に)帰る時、泣きそうになったわ。こんな楽しい所から、(日本での)現実に戻ることを考えたら・・・」
まったく、同感である(-_-)

ワイキキ到着後は、日本人ツアー客の“大使館”とも言えるアロハ・ステーションにて、センチュリーライドの説明会に参加。
スポーツナビゲーターであり、レースにも参加する白戸太郎さんが説明。
レースには、不参加なものの、スタートでの見送りとゴールでの出迎えをする私も真剣に耳を傾ける(`_´)

解散後は、ビーチ際のカフェで昼食。
ヨネちゃんオススメではあるが、“日本人対応”をしていないお店のようで、スタッフとの会話もメニューもすべてイングリッシュのみ(=_=;)

のっけからビッグサイズのハンバーガー、サンドウィッチを頬張り、ビールで乾杯!

記事の編集















(↑:“3年振りの”ダイヤモンドヘッドが眩しい)

記事の編集
食事中は、N社長も含め『ハワイでの想い出』『結婚〜離婚〜再婚』をテーマに語り合う(´ー`)
私とヨネちゃんは、最初の新婚旅行先はハワイ(~ヘ~;)

食後、ホテルにチェックイン。
自転車の組み立て〜点検をするお二人と別れ、一人ビーチへ〜(m~-~)m
ヤシの木の下で、機内での睡眠不足を補うべくお昼寝(_ _).oO

夕方5時過ぎ、ホテルに戻りシャワーを浴びて、外出の身支度。
男3人で、ステーキハウスで夕食 !(^^)!
2回目にハワイに来た時からの“行き着け”のお店であり、初めて行った時(1990年12月)に、小橋健太(当時)、ラッシャー木村の各選手らと偶然出会ったこともあるw=(゜o゜)=w

当時、まだ別な仕事をしている“ファン”でしかなく、突如目の前に出現したプロレスラーの集団に呆気に取られつつも、サラダバーで隣に並んだ小橋選手に、話しかけてみる。
私「自分、西永さん(秀一レフェリー)の地元の後輩なんですよ」
小「えっ、ホント〜!?秀(西永レフェリー)も、(ハワイに)来てるよ!」
これが、小橋選手と交わした初めての言葉でありました。
一日も早い“試合復帰”をお祈りいたします(^-^)


超々ビッグサイズのステーキを平らげ、満腹の腹を摩りながらカラカウア通りをヨネちゃんと二人徘徊〜〜(m`∀´)m
機内で、飲み通しで過度の睡眠不足であるN社長は、部屋に戻って休息に就く(^^)ノシ

日本では、ほとんどすることのない“ブランドショップ巡り”をするものの、オール・ウィンドウショッピングで、二人とも一品も買わず(~_~;)

PRADAの前で、全日本プロレスS営業部長から電話が入るΣ( ̄□ ̄)
S「すいません、海外でしたよね?」
私「いいよ。暇だし」
S「神戸のリングについてなんですけど、村山さん(レフェリー)と話してもらっていいですか?」
私「どうぞどうぞ」
電話を代わった村山レフェリーとしばし打ち合わせ。

私「そういえば今日、博多(大会)だね」
S「今、当日券売り始めたところです」

盛会をお祈りいたします(~_~)


それぞれの“思い出スポット”を探索(^_^;))))))
ヨネ「あの店、まだあるかなぁ?」

ABCストアで、ビールを買い込み、10時半には帰室。
レースを控えているヨネちゃんは、早々就寝。
一人。バルコニーでビール飲みながら読書。
『1976年のアントニオ猪木』
内容はかなり“シュート”だ。
あまり初心者には読ませたくないかな(-_- )

日本にいる時と同じペースで2時就寝(-_-)zzz




Diary V2.02 [CGIダウンロード]