Diary(日記)

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2007年10月28日

原点!“ワールド記念ホール”
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朝9時起床。
テレビを見ながらノンビリ身支度。
ホテル傍の洋食屋さんで、昼食を摂った後、三宮駅へ。

着物姿でキメこんだ女性が手を振っている(^-^)/
平井伸和選手のお母さんだ( ´∀`)
「こんにちは〜!」


新日本プロレス“神戸ワールド記念ホール大会”へ向かうべくポートライナーに乗り込むと、偶然にも江崎グリコ桑原氏と同じ車両に乗り合わせるヾ(´ω`=´ω`)ノ

サンボーホール横を通り抜けながら会話。
桑「全日本も、ワールド(記念ホール)で、出来ませんか?」
私「サンボーホールが、まだ“札止め”にならないんですよ〜」(つд`)
桑「どうやったら(サンボーホールが)札止めになりますか?」
私「まぁ〜・・・、私が、あとひと頑張りすれば…」
桑「じゃあ来年は(今年以上に)超満員にして、ワールド行きましょうよ!」
そういえば、昨夜エイジ君にも言われたなぁ〜
エ「僕は、ワールドで(全日本を)見てみたいです!」
お見せしたいのは、ヤマヤマではありますが・・・(゜〜゜)

会場に到着。
開場前、顔見知りのお客様と談笑( ^▽^)σ)~O~)

プロモーターの星野真二氏が肩寄せて呟く
星「しんどかったですわ」
この一言がすべてか(´□`)

星野氏は、こう言うものの、低迷する昨今のプロレス人気を考えれば、地方都市でこのキャパシティーに集客するのは、並大抵ではない。
まったくもって、恐れ入る限り( ̄〜 ̄)

私が神戸に来たのが、10年前。
nWoブームに沸き返る時代であり、同会場に溢れんばかりの観客が詰め掛けているのを目の当たりにしたのが、私の“原点”。
ガンバロウ!

顔馴染みの記者に混じって、しばし試合を観戦(・_・)
石狩太一、本間朋晃、曙、AKIRAと全日本参戦歴のある各選手も奮闘。

後半は、会場外に出て、新日本プロレスの若き営業部長T氏と興行について語り合う。
私「切符売るのも、しんどいですよね〜。興行やってる時なんて、毎晩(飲酒)ですからね」
T「自分も、1ヶ月に20日は飲んでますね」

全試合が終了し、会場を去り際、プロモーターが一言
星野「やっと落ち着きましたんで、ゆっくり飲みましょ」
お疲れさんでした!(*^.^*)


先月の金沢大会以来、稔選手とお食事 ^ー^)人(^ー^
F寿司マスターのおもてなしにより、(共通の)知人の洋食屋さんへ。

稔選手が、最近の“Myブーム”である矢沢永吉が出演したテレビ番組を録画したDVDをプレゼントヽ(゜▽、゜)
私「金本選手も、武道館(公演)行くらしいよ」
稔「ホントっすか?じゃあ、自分も行った方がいいですかね?」
私「そりゃ〜、関東に住んでる人間が、武道館で観ずして矢沢を語っちゃいけないよ(苦笑)」

(稔選手が)デビュー当時(1994年)、藤原喜明組長の付人として番組収録の為、テレビ局のスタジオに行った際、『アリよさらば』(永ちゃん唯一の主演連ドラ)撮影と思われる矢沢永吉氏と遭遇したことがある秘話を披露(゜o゜)

私「鈴木選手とは、会う?」
稔「巡業に出掛ける前、同じコンビニで偶然会うことが多いんですよ!」
お二人とも、神奈川県逗子市民。

新日本プロレスの現在〜未来をテーマに討論。
発する言葉から、(新日本を)『良くしよう』という気持ちが伝わります(-_-)

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(↑:完食!満腹!!)

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0時前に解散。
気が付けば酒も飲んでいない(~ヘ~;)

【HERO'S】【ワールドプロレスリング】を観ることもなく就寝。




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